今回はウェブアンケートにて総勢9,675名に調査した<中日ドラゴンズ「歴代最強バッター」ランキング>を発表します。1997年にナゴヤドーム(現バンテリンドーム ナゴヤ)に移転するまで中日の本拠地はナゴヤ球場(中日球場)でした。その時代は豪快なバッターが勢揃いし「強竜打線」と呼ばれ他球団から恐れられました。ファンの印象にも強く残っているのか、今回ランクインした選手10人のうち8人がナゴヤ球場経験者です。さっそくランキングをチェック!
TOP10
- 1位落合博満 (3,093票)
- 2位立浪和義 (530票)
- 3位福留孝介 (520票)
- 4位谷沢健一 (481票)
- 5位タイロン・ウッズ (365票)
- 6位江藤慎一 (297票)
- 7位山﨑武司 (293票)
- 8位田尾安志 (286票)
- 9位高木守道 (264票)
- 10位大島康徳 (260票)
ランキングの集計方法
調査方法:株式会社CMサイトがインターネットリサーチした<中日ドラゴンズ「歴代最強バッター」ランキング>のアンケート結果を集計。
※有効回答者数:全年代の男女(性別回答しないを含む)9,675名/調査日:2023年8月29日
第1位:落合博満(3,093票)
画像はX(@numberweb)から引用 《拡大》
- 前人未到の3度の三冠王ですから!
- 最強打者では一番でしょう!
- そりゃ、落合さんでしょう!
- 今も解説が素晴らしい
34歳、中日で初めて味わったリーグ優勝!1位は落合博満さん!
1986年のオフ、1対4の大型トレードでロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)から入団した落合さん。1993年までの7年間、強竜打線の4番としてチームを引っ張ります。1989年に打点王、1990年に打点王と本塁打王を獲得しましたが、いずれも史上初の両リーグにわたってのタイトルでした。1993年にこれまた史上初の両リーグ200本塁打を達成します。1988年には34歳で自身初のリーグ優勝を経験。星野仙一監督を胴上げしています。三冠王こそ獲得できませんでしたが、オレ流を貫きますます勝負強さに磨きをかけた中日時代でした。
第2位:立浪和義(530票)
画像はX(@BBMcards)から引用 《拡大》
- よく打っていたイメージある
- これぞレジェンド!
- コンスタントに打ち続けた
- 平成最強だね
中日一筋22年のミスタードラゴンズ!2位は立浪和義さん!
1987年のドラフトで1位指名されPL学園高等学校から入団すると、高卒1年目で遊撃手のレギュラーをつかみ新人王に輝きました。その後も勝負強い打撃でチームに貢献。中日ドラゴンズ一筋22年、「ミスタードラゴンズ」と呼ばれます。通算2480安打を放ち、487二塁打はNPB記録です。守備も堅実で遊撃、二塁、三塁の3つのポジションでゴールデン・グラブ賞を受賞しています。現役後半は代打の切り札として活躍しました。
第3位:福留孝介(520票)
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- 強打者で足も速い
- 中日を経て大きく育った選手
- 彼の過去の実績は、素晴らしいものがあった
- 大リーグでも500本近くヒットを放ったほどなので
立浪ファンから竜のスラッガーに成長!3位は福留孝介さん!
小さい頃から立浪和義さんのファンだった福留さん。立浪さんと同じPL学園高等学校に進学すると社会人野球を経て1999年に中日ドラゴンズに入団します。内野から外野にコンバートされると覚醒し、2002年は松井秀喜さんの三冠王を阻止する首位打者を獲得。2006年には2度目の首位打者とMVPにも輝きました。その後メジャーリーグ、阪神タイガースと渡り歩きましたが、2021年に古巣中日に復帰。代打の切り札として活躍しました。ナゴヤドームに本拠地を移して以降、30本塁打以上打った唯一の生え抜き日本人選手です。
第4位:谷沢健一(481票)
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4位は谷沢健一さん!
- 昔の中日の代表的なバッター!
- 子どもの頃、一番好きな選手でした。
- 必ずクリナップを打つバッターで、チャンスに強い安打製造機である
- 中日一筋!
中日ドラゴンズ一筋17年、通算2000安打も達成した谷沢さん。1974年に巨人のV10を阻止し20年ぶりの優勝に貢献すると、1976年には首位打者に輝きます。先に日程を終えていた張本勲さんを驚異の追い上げで逆転。その差はたったの.00006(6糸)でした。1978年は持病のアキレス腱痛で出場機会が大幅に減り選手生命が危ぶまれますが、懸命な治療で克服。1980年に復活し2度目の首位打者を獲得しています。
第5位:タイロン・ウッズ(365票)
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5位はタイロン・ウッズさん!
- 助っ人では1番だね
- 黄金時代にはこの選手が活躍していた
- けた外れのパワー!
他球団を震え上がらせる迫力満点の打撃でチームの優勝に貢献したウッズさん。中日ドラゴンズ在籍4年で155本塁打をマークしましたが、特に2006年は2冠王となる47本塁打、144打点と脅威的な数字を残しています。この年、優勝を決めた巨人戦で46号先制3ラン、延長12回には47号満塁弾を放ち計7打点。落合博満監督とガッチリ抱き合ったシーンは感動的でした。
第6位:江藤慎一(297票)
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6位は江藤慎一さん!
- 最強でしょう
- 中日のバッターといえば江藤慎一でしょう
- 背番号8の大砲
江藤さんは捕手として入団しましたが一塁手に転向すると1959年、1年目から全130試合に出場します。1964年1965年と首位打者に輝き、2年連続で王貞治さんの三冠王を阻止しました。後にロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に移籍し、史上初のセ・パ両リーグ首位打者を獲得しています。「闘志にスランプなし」と自らを鼓舞しプレーした江藤さん。星野仙一さんより前に「闘将」と呼ばれていました。
第7位:山﨑武司(293票)
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7位は山﨑武司さん!
- 安心して見ていられたから
- 生粋の中日だったよね
- おじさんの星!
あの松井秀喜さんを制し本塁打王を獲得したスラッガーが山﨑さんです。初本塁打は入団5年目でしたが、1996年に松井さんとし烈なタイトル争いを展開。遅咲きの大砲は39本塁打で本塁打王に輝きました。優勝した1999年9月の試合では逆転サヨナラ3ランを放ち打席で雄叫びをあげバンザイ。その形が「X」に似ていたことから「Xホームラン」と呼ばれ、今でもファンの心に焼き付いています。
第8位:田尾安志(286票)
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8位は田尾安志さん!
- すごいファンだったので!
- ミスター中日
- 懐かしいなぁ、やっぱりすごかったね
強竜打線の切り込み隊長として活躍した田尾さん。1982年から3年連続でセ・リーグの最多安打をマークするなど、広角に打ち分けるシュアな打撃でチームをけん引しました。特に1982年は打率.350と打ちまくり、8年ぶりの優勝に大きく貢献しています。優勝を決めた試合で5打席連続敬遠されたことは有名です。甘いマスクで人気があり、歌手デビューも果たしています。
第9位:高木守道(264票)
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9位は高木守道さん!
- カッコいいから!
- 足も速いし守備力もある
- いぶし銀!
高木さんのことをプロ野球史上最高の二塁手とする人も多いといいます。職人技のバックトスなど守備の人のイメージが強いかもしれませんが打撃も一流で、通算成績は2274安打、236本塁打、369盗塁。4打席連続本塁打を放ち盗塁王も獲得しました。ベストナインも二塁手最多の7回受賞しています。中日一筋21年「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる名選手でした。
第10位:大島康徳(260票)
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10位は大島康徳さん!
- 中日の最強バッターと言えば落合さんと大島さんを思い浮かべます。大島さんはプロ野球解説者としても聞きやすく大好き
- 代打本塁打の魅力!
- 一発長打がすごい
1983年に36本塁打をマークし初のタイトルとなる本塁打王を獲得した時、プロ15年目で33歳だった大島さん。遅咲きの花はひと際大きく満開になりました。1976年にシーズン代打本塁打7本の日本記録をマークしきっかけをつかみ、1977年には打率.333、27本塁打で不動のレギュラーをつかんでいます。チャンスに強く当時の本拠地ナゴヤ球場のファンを熱くさせたスラッガーです。
中日ドラゴンズ「歴代最強バッター」ランキングベスト10
以上、全年代の男女(性別回答しないを含む)9,675名が選んだ<中日ドラゴンズ「歴代最強バッター」ランキング>でした。
有効回答者数:全年代の男女(性別回答しないを含む)9,675名
調査日:2023年8月29日