今回はウェブアンケートにて総勢9,625名に調査した<歴代「F1ドライバー」人気ランキング【2023年最新版】>を発表します。1987年、日本に巻き起こった空前のF1ブーム。中嶋悟さんのフル参戦、テレビ局の全戦中継などがその要因ですが、忘れてはならないのが個性豊かなドライバーが揃っていたこと。マシンが語られがちですが、F1とはテクノロジーと人間が織りなすドラマなのです。さっそくランキングをチェック!
TOP10
- 1位アイルトン・セナ (2,215票)
- 2位ミハエル・シューマッハ (668票)
- 3位鈴木亜久里 (600票)
- 4位中嶋悟 (588票)
- 5位片山右京 (435票)
- 6位佐藤琢磨 (325票)
- 7位ナイジェル・マンセル (265票)
- 8位アラン・プロスト (245票)
- 9位ラルフ・シューマッハ (231票)
- 10位ジャッキー・スチュワート (190票)
ランキングの集計方法
調査方法:株式会社CMサイトがインターネットリサーチした<歴代「F1ドライバー」人気ランキング【2023年最新版】>のアンケート結果を集計。
※有効回答者数:全年代の男女(性別回答しないを含む)9,625名/調査日:2023年8月29日
第1位:アイルトン・セナ(2,215票)
画像はX(@DAZN_JPN)から引用 《拡大》
- やっぱり天才
- 俳優のように美しい方だった
- 若くして亡くなってしまったが、天才だと思います。伝説のドライバーです
- 最初に浮かんだのが、セナでした。応援していました
日本を愛し日本に愛された音速の貴公子!1位はアイルトン・セナさん!
日本を愛し日本人から愛された音速の貴公子。それがセナさんです。通算41勝、3度のワールドチャンピオンに輝いた世界的なスーパースターで、1980年代後半からの日本のF1ブームはセナさん抜きでは語れません。1991年の母国ブラジルGPでの感動の初優勝、1992年モナコGPのナイジェル・マンセルさんとのデッドヒートなど記憶に残るレースは枚挙に暇がありません。少し寂しげな表情が美しく、セナさんがレースでリタイアすると、翌日の月曜日、日本のオフィスではセナさんのファンがショックでミスを連発した…という都市伝説まで生まれました!
第2位:ミハエル・シューマッハ(668票)
画像はX(@F1Gate)から引用 《拡大》
- 大好きで大ファン
- ミハエル・シューマッハの運転好きだったなー
- 私のF1観戦は、シューマッハに始まりシューマッハで終わりました
- すごい走りでかっこよかった
不可能を可能にするF1ターミネーター!2位はミハエル・シューマッハさん!
冷静で正確なドライビングから「ターミネーター」「サイボーグ」と言われ通算91勝、最多タイの7度のワールドチャンピオンを獲得したシューマッハさん。1991年、ジョーダンでデビューしベネトンに移り1994年から2年連続でタイトルを獲得しました。1996年に名門フェラーリに移籍してからは「赤い皇帝」と呼ばれ一時代を築きます。不可能を可能にする走りで何度も奇跡的な優勝を飾りティフォシ(フェラーリファン)を熱狂させました。現在のF1でスタンダードになっているフィジカルトレーニングやレースでのタクティクスもシューマッハさんが取り入れたものです。
第3位:鈴木亜久里(600票)
画像はX(@AUTOSPORT_web)から引用 《拡大》
- 活躍していた姿を見ていたから
- 日本人初の表彰台!
- かっこよすぎです
いつまでも記憶に残る1990年日本GPでの表彰台!3位は鈴木亜久里さん!
日本人で初めてF1の表彰台に立ったドライバーが鈴木さんです。1989年にザクスピードからフル参戦を果たしますが、全戦予備予選落ちの屈辱を味わいます。1990年にラルースに移籍すると前年の悔しさを晴らす走りを披露。地元・鈴鹿サーキットでの日本GPでは波乱のレースをしぶとく生き残り、ついに3位入賞を果たします。F1ブーム真っただ中の日本は歓喜に包まれました。表彰台に立った鈴木さんが最高の「亜久里スマイル」で鈴鹿のファンの歓声に応えたシーンは、日本モータースポーツ史に残る名場面です。
第4位:中嶋悟(588票)
画像はX(@driver_1964)から引用 《拡大》
4位は中嶋悟さん!
- 表彰台に上がってほしかった~
- レジェンド!
- 世界の舞台で頑張りましたよね
日本人初のF1フル参戦ドライバーの中嶋さん。その後の日本人ドライバーに道を切り開いた、モータースポーツ界の野茂英雄的存在です。1987年にロータスからデビューするとチームメイトのアイルトン・セナさんとともにF1ブームを日本に巻き起こしました。「雨のナカジマ」と言われ、1989年のオーストラリアGPでは予選23番手から大雨の中19台抜きで4位に入賞。日本人初のファステストラップを記録します。マシントラブルでリタイアしても言い訳しないその姿勢にファンは称賛の声を惜しみませんでした。
第5位:片山右京(435票)
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5位は片山右京さん!
- この人は時代を作った
- 安定感あった
- 夢中で観てた
1992年に日本人3人目のF1レギュラードライバーとしてラルースからデビューした片山さん。F1で最も輝いたのはティレルに在籍していた1994年です。開幕戦で5位に入賞し悲願の初ポイントをマークすると合計3度入賞。不運なマシントラブルやもらい事故でリタイアを余儀なくされることが多かったのですが、表彰台どころか日本人初優勝も期待させる素晴らしい走りを披露しました。1997年に引退しますが、F1通算95戦は日本人最多です。
第6位:佐藤琢磨(325票)
画像はX(@F1Gate)から引用 《拡大》
6位は佐藤琢磨選手!
- 私と同い年で、ドライバーとしてはまだ現役。勇気を与えてくれる
- クレバーで好きなF1ドライバーだった
- カッコいい!
2002年にジョーダンからF1フル参戦を果たした佐藤選手。レーシングカートに乗ってわずか5年のスピード出世です。その年の日本GPで5位に入賞し鈴鹿サーキットに集まった15万人の大観衆は熱く燃え上がりました。2004年はB・A・Rに移籍しアメリカGPで日本人として2人目の3位表彰台を獲得しています。その後、インディカー・シリーズに参戦し世界三大レースの一つの「インディ500」を2度制した日本が世界に誇るレジェンドです。
第7位:ナイジェル・マンセル(265票)
画像はX(@F1Gate)から引用 《拡大》
7位はナイジェル・マンセルさん!
- 突撃野郎!
- 何故か荒々しいのに惹かれていた
- ドライビングテクニックと駆け引きが巧みで、渋くてかっこいい!
「大英帝国の愛すべき息子」「荒法師」「マンちゃん」など数多くの愛称を持つマンセルさん。いかにファンから愛されていたかの証しです。豪快で大胆なドライビングでオーバーテイクしたかと思えば、信じられないようなミスでリタイアすることもあるエンタメ型ドライバーでした。何度もワールドチャンピオンを逃していましたが、1992年についに悲願のタイトルを獲得。無冠の帝王を返上しました。
第8位:アラン・プロスト(245票)
画像はX(@F1Gate)から引用 《拡大》
8位はアラン・プロストさん!
- プロフェッサー!
- 一番好き
- セナとのライバル関係がよかった
冷静沈着で理詰めの走りから「プロフェッサー」の異名を持つプロストさん。通算51勝に4度のワールドチャンピオンを獲得したグレートドライバーの一人です。1988年から2年間はマクラーレンでアイルトン・セナさんとチームメイトとなり、火花散る戦いを繰り広げました。1989年、1990年の鈴鹿サーキットでの日本GPでの両者の激突は語り草です。その後フェラーリ、ウィリアムズでも活躍しました。
第9位:ラルフ・シューマッハ(231票)
画像はX(@F1Gate)から引用 《拡大》
9位はラルフ・シューマッハさん!
- 圧倒的スターのお兄ちゃんを持つ弟を応援してた
- 速かったよね!
- やんちゃなイメージで好きだった
偉大な兄ミハエル・シューマッハさんの6歳年下の弟ラルフさん。1997年、くしくも兄と同じジョーダンからF1デビューするといきなり速さを見せつけます。1999年に名門ウィリアムズに移籍し2001年サンマリノGPで初優勝。カナダGPでは兄を従え2勝目を挙げ、歴史的な兄弟ワンツーを決めました。その後トヨタからも参戦し、F1通算6勝をマークしています。
第10位:ジャッキー・スチュワート(190票)
画像はX(@AUTOSPORT_web)から引用 《拡大》
10位はジャッキー・スチュワートさん!
- 伝説的なので
- かっこよかったです
- 私の時代はこの選手ですね
大英帝国勲章とナイトの称号を授かった“サー”ジャッキー・スチュワート。1965年にBRMからF1デビューするとマトラで1968年、ティレルで1971年、1973年の3度のワールドチャンピオンに輝きました。常にレースの安全性を訴えるなどプロフェッショナリズムにあふれたグレートドライバーです。スコットランド出身であることから「フライング・スコット」と呼ばれ通算27勝を挙げました。
歴代「F1ドライバー」人気ランキング【2023年最新版】ベスト10
以上、全年代の男女(性別回答しないを含む)9,625名が選んだ<歴代「F1ドライバー」人気ランキング【2023年最新版】>でした。
有効回答者数:全年代の男女(性別回答しないを含む)9,625名
調査日:2023年8月29日